花の行方 2
 

 帝に瞳子をという話にも驚いたし、京に預けるというのも寝耳に水だ。泰衡は淡々と告げた。
「今すぐ入内させるというわけではない。瞳子は幼く、帝もまだお若い。ゆくゆくは……という話なのだ。都の作法を身につけた雅な婦人に育て、いずれは帝の側にとな。
 我らにとってもこれは願ってもない申し出。内裏と結ぶ利は神子殿にもおわかりだろう? 幼くとも瞳子も奥州藤原氏の一員、ならばそのために働くのは当然だ。他に適齢の姫もいない」
 望美はとっさに返す声が出なかった。泰衡は唇の片端を上げ、冷笑にも似た表情 を示した。
「これまで奥州を東夷と卑しみ俘囚(ふしゅう)と蔑んできたというのに、その一族の女性(にょしょう)を入内とは、変われば変わるものだ。いかに龍神の神子の血を引く姫とはいえ……な。
 だがもし他にどんな姫が入内しようと、我らの後ろ盾があれば何も動じることはないぞ。帝の寵愛を得られれば富も栄誉も思うままだ。当代の女として、もっとも高い地位に上ることも不可能ではない」
「だめだめ、絶対だめ、政略結婚なんて! それにこんなに小さいのに、ほかのお家に預けるなんてできないよ!」
 ようやく自分を取り戻した望美は弾かれたように叫んだ。ふだんはきちんと人の話に耳を傾ける方なのだが、聞き入れる余地なしといった勢いである。
 望美も現在は奥州藤原氏に属する身、一族にとって朝廷対策がいかに重要なものかはわかっていても、娘が政略に使われることにおいそれと同意などできるはずもない。
 それに入内するのが女としての幸福かなどわからない。父親である清盛の意向のままに高倉帝の女御となり、安徳帝を産んだ徳子が幸せだったとは望美にはとても思えなかった。
「瞳子と離れるなんてできません。泰衡さんがどうしても瞳子を京へ行かせるっていうなら、私も一緒に行くからね」
「望美さんがそう言われるならば、私も」
 それまで黙っていた銀が、きっぱりと口を開いた。
「あなたが京に行かれるなら、私も共にまいります。瞳子の父としてもそれは当然のつとめ」
「銀!」
 喜色を浮かべた妻にしっかりうなずき、銀は泰衡に向き直ると深々と頭を下げた。
「泰衡様、長らくお世話になりました。瞳子を京にとの泰衡様の仰せであれば、それもやむなきものと心得ます。
ただ娘は何分幼く、物事の道理もわからぬ年頃、京の藤原様にどのようなご迷惑をかけるやもしれず……。なればふつつかながら親である私どもも京にまいり、瞳子の近くにいてやりたいと存じます。
 我ら親子四人、いえ、もうすぐ五人になりますが、泰衡様のお側を離れましても、みな決してご恩を忘れるものではございません。どうぞ末永くご健勝であられますよう、遠く西の地よりお祈り申し上げます」
「何を言っている。それはだめだ」
 流れるように言上した銀に、泰衡はむすっと投げつけた。
「おまえにいなくなられてはいろいろと大変なのだ。平泉を離れることは許さんぞ。それに神子殿、あなたは奥州の龍神加護の象徴。京などに勝手に行かれてしまっては困る」
 望美は内心あれっと思った。昔の泰衡なら銀にも望美にも「行きたいならどこへなりと勝手に行け」と言い放っていただろうに……。だがとりあえずは目の前の問題に立ち返る。
「なら、瞳子を京にやるなんて言わないで。泰衡さんが何をどう言ったって、ぜーったいだめなものはだめだよ。
 瞳子、泰衡伯父様は瞳子をたったひとりでものすごく遠くに預けちゃうつもりなの。そんな冷血漢で計算高くて渋ちんの泰衡さんなんかほっといて、母様のお膝に戻っていらっしゃい」
 幼子は先ほどからの展開に、大きな目をさらに大きく見開いている。詳細は理解できないながら、父母と伯父の間が紛糾していることはわかるようだ。それでも泰衡から離れようとはせず、代わりに小さい手で、きゅ、と泰衡の黒髪をつかんで彼を見上げた。
「しぶちんってなぁに?」
「あとで教える。私は……違うぞ」
 泰衡は憮然と望美に対した。
「落ち着け、神子殿。これは命令ではない。あくまで打診だ」
「だって」
「無理強いなどせぬ。強情な神子殿に言うことを聞いていただくのは、ひどく骨が折れる仕儀とわかっているからな。私はそこまで暇ではない。
 だがこの話をことわるなら、それなりの理由をあつらえねばなるまい。内裏、特にあの後白河院絡みの話だ。後に障りが出るようなことはできん。そうだな……すでに他の誰かと婚儀を約しているからというのはどうだ」
「ええっ」
 また予想外の展開に望美は目を丸くする。帝の代わりに他の人と? そもそも瞳子の結婚などまだ想像の外、自分だっていまだに新婚気分が抜けきれていないのである。
「いずれはどこかに嫁がせることになるのだろう?」
「それは、いつかはそういう時が来るかもしれないけど、でも……」
「言い訳としてはそれがもっとも無難だろう。この話を拒めるほどの相応の相手となると、おのずと限られてくるがな。まったく関係ない誰かに、おいそれともっていける内容でもない」
「じゃ、だ、誰と?」
「奥州藤原氏の総領、つまり私だ」
 望美は一瞬言葉を失った。瞳子が泰衡の妻になる。すなわち泰衡が自分の義理の息子になる。
 ……めまいがした。
「だめ」
「なぜだ? 奥州藤原氏の総領相手では不満か? 私は独り身だ、これが一番話が早かろう。他に何も不都合なことはないと思うが」
 望美の拒否の理由に心底思い当たらないといった口ぶりである。
「年齢離れすぎ……」
 答にも力が入らない。あまりに脱力してしまったせいだ。泰衡は三十を越えたところ。瞳子は五つ。まさに親子だ。
「このくらいの年齢差の夫婦はいくらでもいるだろう」
 いくらでも、かどうかはわからないが、そういうこともあるのかもしれない。しかし……。
「ねえ泰衡さん、私をお母さんって呼びたいの?」
 うかがうように言った望美に、む、と泰衡が唸った。
「神子殿が義母(はは)上、か……」
「銀がお父さんだよ、わかってる?」
 涼しげな顔の銀に目をやり、泰衡の眉間がいっそう深くなる。彼はぼそりとつぶやいた。
「……冗談だ」
「だと思った」
 望美は心からほっとした。
「ならば万寿丸ではどうか」
「万寿くんと?」
 万寿丸は泰衡の甥だ。年も瞳子と近い。母は泰衡の弟の妻として地元の豪族から迎えられたが、万寿丸を生んですぐに亡くなった。泰衡はゆくゆくは万寿丸に後を継がせる予定でいると聞いている。
 泰衡がこれから結婚し嫡子が生まれる可能性を考えて、今の段階で甥を後継ぎと定めては混乱の元だとする意見も一部にあるが、泰衡は自身の不慮の死はいつでもありうることだ、子がいない現在、確たる後継者を定めないまま死去する方がよほど争いの原因となると言い切っている。泰衡に比べれば、良くも悪くも人並みの器量の弟たちを後継者とする考えは持っていないようだった。
 大人たちの思案はとにかく、伽羅御所に引き取られて養育されている万寿丸はかわいい。母を亡くした不憫さもあり、望美も瞳子と一緒によく万寿丸に会っていたが、年相応にやんちゃで負けず嫌い、しかし素直で利発な子どもで、幼くとも泰衡が後継者にと選んだのもうなずけるものを持っていた。
 とは言っても、そのふたりの突然の結婚話に動揺は隠せない。双方ともまだ幼児なのである。
「あの、その」
「奥州藤原氏の未来の総領、年回りもちょうどいい。これなら文句のつけようがないだろう」
「う、うん、万寿くんなら、まあ……。でも泰衡さん、瞳子のお義父さんになるの……?」
 泰衡が義理の息子になるよりはましだが、それでも泰衡を義父としたら愛娘がどれほど苦労するかと思ったのが、思わず顔に出てしまったらしい。不機嫌さを思い切り前面に押し出した表情で泰衡が尋ねた。
「まだ言いたいことがおありか、神子殿」
「えっ、うん、えっとね……」
 泰衡は疲れた吐息をついた。望美が何を考えたかはわかっていると言いたげだ。彼はききわけの悪い子を諭すように言った。
「内裏の申し出を退けたいのだろう? この提案はとりあえずの方便と思って承知してはいかがか。それとも神子殿には他の妙案でも?」
「……泰衡様、おことわりになってよろしいのですか。これは質(しち)の話でございましょう」
 静かに銀が口を挟み、望美ははっと息を呑んだ。
 



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